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BUB is rooting for herself. GO BUB.

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100 Cassette Tapes. 
Prints available (also full tape listing) on Society6

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“そうか、あ、そうかもしれないと思った。
 「ことばというものは、じぶんにも向かっている」
 ということ。
 じぶんが毎日のように書いている文章、
 あるいは他の人たちに向けているつもりで発している
 数々のことば、
 それって、なんとなくじぶんに言ってるような
 気がしていたんです。

 ガキのころに言いませんでしたか?
 「人をバカバカ言うバカは、じぶんのバカを知らぬバカ」
 ほんとにそうかもなぁと、うすうす思ってました。
 また、汚らしい悪罵の投げつけばかり上手な人は、
 そのことばで、じぶんの手を汚してると思うので、
 わりと距離を置くようにしています。
 ま、悪いことば汚いことばというのは、
 たいていは曲芸のような「芸」として、
 商われていることが多いんですけどね。

 ことばには「ことだま」が宿ってるとかも、
 よく言われることだし、
 とにかく、じぶんの発言やじぶんの書く文章の、
 いちばん近くにある耳も目もじぶんのものだし、
 ことばの届けたい対象の中には、
 実感としてじぶんがいると思ってはいました。
 で、今日思ったのです。
 ことばは矢のように発せられるのではなく、
 花火のように「球状」に破裂しているのだ、と。
 『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』
 というタイトルの映画がありましたが、
 打ち上げ花火は球状に爆発するので、
 上でも下でも斜めでも、すべての視線から丸く見えます。
 つまり、ことばという花火を球状に破裂させた本人は、
 当然のように、その音を聞きその光を浴びるわけです。
 「バカ」「クソッタレ」「ありがとう」「ごめんね」…。
 すべて、発言者にも響く花火です。
 その花火の発する光で、言ったものの顔が照らされます。
 今日、ぼくは、このような文章を書きましたが、
 あらためて、これをじぶん自身に言っていることが
 そう思って読んだらよくわかります。”

(出典: 1101.com)

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Pray to a God that I don’t believe in (by Dominique N.)